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            宇宙は本の箱

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六次元講義(18) 新民主主義へ

私は先生の古代史をそっくりそのまま信じる者でも、その本を全部読む者でもありませんが、『日本古代正史とその思想』は、道教の先生の所に先祖供養に行っている頃なぜか飛び込んでまいりまして、持っています。
副題に『新民主主義のすすめ』とあります。





●自由から節度ある自由、節由へ。

●平等から公平へ。

●博愛から仁愛・敬愛へ。

●義務



先生提唱の<新民主主義>です。

先生は常々戦後の民主主義、とりわけ、教育の場で教えられる<自由><平等><博愛>に難色を示しておられました。そして釈迦の八正道をプリントされて配られたこともありました。
私がこころ磨く会をやっていた頃、なにをもって正しいとするのかという質問がよくありましたが、それが学際曼荼羅図に示されておりました。

<倫理学><大脳生理学><美学><心霊科学>の四つの窓から見て止揚されたところの一点を自然に感知出来る人間であろうとすること。人が常に軌道修正しながら円を描き生きるのに三角志向では足りないことを曼荼羅図会は教えています。その止揚された所に大日如来はおられます。弘法様が護ってくださっていた先生のもとに集った人達は、所謂その普遍を生きようとする者達なのだと思いました。あそこはそうでした。
今も・・・これからもそうであって欲しいと願います。






民主主義の基本原理は自由だが、自由を短絡的に考えてしまいがちな現代では、各自の権利や我儘を主張することを自由と履き違えるようになっておる。そんな自由を主張していては国どころか、自分の家庭さえもすぐに崩壊する。
私達に自由は与えられてある。
しかし それは 節度ある自由である。

自己の自覚と努力によって、与えられた自由の範囲において希望を実現化していけるのが真の自由であります。
人には努力によって理想を実現化できる道が開けています。即ち


節度ある自由


が与えられてあるのです。





私は、いにしえ、日本最初の日抱き宮あたりに淡上方様がおられたとか、天照大神様がまだオオヒルメムチ様と呼ばれていた頃は日本は三十余国に別れていて、飛騨は日本最大の国だったとか、そういうことの何が真実かにはさして興味はないのです。飛騨王朝らしきものがあったことは確かですから、それは青少年育成の為、郷土の誇りとして福来博士の記念館を建立したと同じように、飛騨人を啓蒙するには十分説得力ありますが、私は高天原がどこで、日本最古の王朝がどこでというような歴史的事実より、天孫降臨が二度あったと説く心、日本平定に出かけられたという、その深い深い御心というものを学びたいと願うのです。
どなたかが天皇の真のお心を知ろうと思うなら、『御製を読むが宜しい』と言われたことと同じで、私は先生の書物を繰り返し読みます。史実の為ではなく、その素朴で高潔な魂、その御心を忘れない為にです。
断っておきますが、私は右翼ではありません。それはキリスト教徒だった遠藤周作に尋ねて、遠藤周作が晩年答えられたことと同じです。


生きていたらこうなった。
キリスト教徒だろうと仏教徒だろうと、ちゃんと生きたらこうなる。




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